2015年 振り返り散文(人生)

闇を知ると一回りくらい強くなれる。
そう今年を駆け抜けて思った。たかが20代男性に課された命題だとしても、当の本人からするとそれはとても険しくて精神的に追い込まれる。昨年はただ絶望を知った1年だったけど、今年はそれと向き合うことを学んだ気がする。気がしただけだから体現出来ないかもしれないけど、とりあえずそういう気付きがあったことは事実だ。

自分の強さと向き合うのも弱さと向き合うのも、両方しなきゃいけないんだなぁ。
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向き合うといえば両親に対する考え方も変わった。昔から話しているように、両親が人間として嫌いだ。でも、子供を育て上げた事実を思うとなんとも言えなった。仮に自分に永遠の愛を誓う人が出来たとして、その人と添い遂げて、子供を授かって、成人させるって並大抵のことじゃないなって。同じことが今の自分にできるだろうか?
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結果として、こんな捻くれた成人が完成してしまったわけだけど、生かされていることにはそれ相当の感謝の念を持たなければならないと思った。特に決めてないけど、1年に1度サシで飲む、を続けてみようかな?と思った。
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他人の気持ちなんてわかってあげられないのが世の中のオキマリ。僕が他人の気持ちを同じように共有できないように、その逆も然りだ。人の幸せなんて十人十色だし、それに対して何を言う資格はない。でも、だからこそ何も言ってもらえないってとても虚しいことなのかもしれない。桐島、部活やめるってよ的なね。
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逆の見方だけど、どこまで介入できるのか?も大切なポイントなのかもって思った。スルー出来ない人にどれだけ想いを伝えられるか、自分なりの助言や考えを伝えられるか。仕事ならそれは当たり前だけど、日常だと時にそれはタブーとみなされるからね。そういう風な向き合いが出来たからこそ、学生時代の仲間とは今でも会えるんだろうし、そういう手続きを出来ない人とは自然に疎遠になる。シビアだけどリアルだなと思う。
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最近生きてて思うのは、「捨てる」ということを人は覚えるということ。
ワイシャツは自分で洗濯してアイロンかけるよりクリーニングだした方がコスパが良い。1人の時は料理をしない。現金は面倒だから持ち歩かない。
残酷だけど、人間関係もそうだ。
薄々気づいてたけど、やっぱりそうなのかな?って思い始めた。だからこそ、好きな人とはその人が仮にどんな背景があったとしても意地でも会わないといけないと強く感じている。我々の人生には終わりがある。
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似てる言葉だけと「ルーティン」なんて言葉が流行ってたね。
朝起きて支度して出勤するまでの流れに思考なんて持つ方がストレスだ。スポーツの場でも我に帰れるってのは大切で、考えなくてよくするっていうスキームは素晴らしい。
本当に大切なものって何なんだろうね。
知らぬ間に考えないでいいように生きれるレールに自分を載せてはいないかなって少し心配になる。

とりあえず楽しく幸せに生きたいな、なんて思っちゃう。
考えて生きないとね。もともとそういうの好きなはずだから。
それに頭使わないとね。